あたしの生きる道
たぶん、この記事を載せたらみんなびっくりすると思う。
だけど。偽りなくこれが、あたしだと本当のあたしだと知って欲しい。
あたしは、3人兄弟の一番長女に産まれた。
保育園の頃、お気に入りの服を着せてもらえないと怒ってしまうオシャマな子どもでした。
小学生の頃は、毎日短パンにサッカーボール⚽。
男の子👦としか、遊んだことがなく木登りやおにごっこ。男の子にまじっての中々のガキ大将ぶりを発揮していました。
小学校時代は、将来は看護士や医者、獣医になれるものならなりたいと淡い夢を抱いている子どもでした。
夢を抱いて、中学生になったあたし。
この頃から、あたしの人生の歯車が狂いだしたことに気づいたがどうにもならない地獄に落ちていくとは、知るよしもありませんでした。
ちょっと、人付き合いが分からなかった中学1年生時代。
女の子ってどんなもの?が理解出来てなかったあたしは、女子のグループに分かれてつるむ感覚に不思議さを感じていました。
男子はというと、女子を意識しだす頃。話しかけたくてもどうにも、なんだか距離を感じてしまう感じ。
そんな不思議さを感じていた、あたしはやはり仲間はずれにされ始めたのです。
すぐに、もーれつないじめが始まりました。
朝から、家に帰るまでひたすらひとりぼっち。
学校の屋上に呼び出され、飛び降りて死ねと言われ。毎日の呼び出しにあたしは、こころの明るさを失い始めるしかありませんでした。
誰ひとりとして、助けてくれる人を見つけられずに。
あまりに、壮絶ないじめに精神的に徐々に追い込まれてゆきました。
その頃、先生に相談したけど助けてはくれず。
親には、 もう我慢するしかないからいいよとだけ話しました。
そんな、毎日いじめでぐったりしている所へ追い討ちをかけられるように実の父親からの言葉の暴力と、身体への虐待が始まったのです。
母親からは、愛情不足を感じていました。
あたしは、いつもひとりぼっち。
どこにも、あたしの居場所なんてないんだと。
あたしは、自分がいじめられても人を決して傷つけてはいけないこと。
人としての在り方について、早くに考える中学生になっていました。
高校に入って、やはり人が怖くてビクビクする毎日でした。
それを悟るように当然いじめは始まりました。
家でも、虐待は続いています。
あたしが、2年生の半ば。
とうとう、心臓神経症になってしまいました。
心臓が痛くてのたうち回る症状に苦しみました。
自分の小学校時代の夢も徐々に諦めなければならなくなってきました。
あたしは、思いきって社会に出る勇気を持って途中から飛び込んだのです。
大好きな、洋服関係にとアパレルに入社しました。
仕事は楽しかったけど、やはり先輩からいじめられました。
転職し、企業に入社。
人間関係の難しさを感じながら長年働かせて貰いました。
ただ、社会人になっても子ども時代からの虐待はなんら変わることなく続いていたのです。
25歳。
若くして、あたしは鬱病を発症しました。
すさまじいストレスから、いつ病んでもおかしくないはずでした。
取りあえず、なにもできなくなっていきました。それが鬱病です。
精神薬💊になれてない身体は副作用から、眠ってばかりの毎日になりました。
徐々に、鬱病。虐待。鬱病。虐待。
繰り返しに、あたしは壊れるしかなくなったのです。
始まってしまいました。毎日、1度で50ヵ所は切る。毎日に何度も何度も繰り返し。
左腕は、いまなおキズが消えません。
右腕。他にも切ってしまいました。
止められたのは1年半前からかな?
自分を大切にしようと思うようになったからです。
27歳ぐらいから、重度の鬱病になり。
寝たきりから、ヘルニアになり。
1ヶ月の薬💊代が10万円を越えるほどひどくなったのです。
ある日から、倒れるようになり。
車イス♿が必要になりました。
歩けなくなってしまったこともありました。
杖も必要でした。
しゃべれなくなり。目が見えなくなり。耳が聞こえなくなり。
なにもかも、いやになってしまいました。
とうとう、あたしには障害者認定がおりました。
節食障害から、パニックから。ありとあらゆる苦しみに日に日に笑顔を失わざるをえませんでした。
あたしの、人生が終わったとさえ思えました。
悲しみを感じることさえできないくらい容態はひどい物でした。
そんな中、唯一ASKAさんの曲を聞いたり歌詞を楽しんだりすることで自分をなんとか保っていられたのです。
何度も何度も自殺未遂を繰り返し。
集中治療室に何度もお世話になりました。
オーバードーズも、リスカを止めたと同時にやめられました。
いまで、発病して19年になります。
1年半前くらいから、家事ができる自分に喜びを感じることができるようになりました。
楽しい。嬉しい。
良く笑うようになりました。
料理も大好きになりいろいろと作っています。
あたしは、こんな苦しい生き方でしか生きてこれなかったけど。
決して無駄ではなかったと思っています。
人の痛みが分かりすぎるくらい、分か優しい人間になれたのだから。
ただ、敏感すぎるのだけど。
入院、退院を繰り返し。
いまは、笑顔で自分の足で歩けるあたしがいる。
それだけで、あたしはありがたいと思う。
当たり前を当たり前と思わず。
人を許すことで、人は優しくなれるのだから。
こんな壮絶な人生の中で、ASKAさんを変わらず大切に思える自分が嬉しいのと。
ASKAさんのファンの皆さんに知り合えた喜びを大切に大切に生きて行けたらなと思っています。
長くなりましたが、だいぶ書けなかったことも沢山沢山あります。
最後まで読んでくれて本当に本当にありがとう。
あたしには、記憶障害もあります。
みんなみたいに、覚えていられないことも多々あるのでご迷惑をかけたらごめんなさい。
あたしが、命を大切に思うように。
ASKAさんを大切に大切に思って生きていきます。
そう思える気持ちが、あたしの一番の宝物なのだから。